”エモい”という言葉にイラつく理由
21;02
何年ぶりの更新でしょうか。
そろそろこれは女子大生応用になるべきなのですが、まだ入門で書きたいことがあるのでしばらく入門で行きたいと思います
本日のBGMは
エモいというコメントがいっぱいのこの曲でいきましょう。(この曲好きです)
さてここ6ヶ月で圧倒的な地位を得た言葉といえば
密、コロナ、そして我らが”エモい”ではないでしょうか。
タバコとストロング缶を暗いところでフラッシュ焚いて撮った写真にエモいと書いているストーリーを何度見たでしょうか
あと、逆光の写真とか?波打ち際の足元の写真とか?エモさにあふれるインスタグラム界隈でございますよね。
断じて、別にその写真が嫌いだというわけではない。でもさ、エモさってつくって撮影できるものなのか?
私の理想としてはさ、エモさって写真に写らないで欲しいし、作れないでいてほしい。ただのわがままなのだけど。
きっと人によってエモさって違うはずなのに、雑誌とか大手メディアとかが取り上げてしまうとそれはもうエモじゃないよね。それはただの流行で、ってなる。
リングがついたキャンディーをみたときにエモいと感じる人がいれば、セックスした後の朝日がエモいというひともいるだろうし、だからストロング缶とかタバコがエモい人がいてもいいんだけど、共有した時点でそれはエモくなくなるのだ。
だからエモい写真っていうのは存在しないと思う。特に雑誌で特集できるようなものは。
でもそれでも、みんな共通のエモいを求めて、エモい写真を取ろうとしたりどうやって撮ったらエモいか紹介してて、それが嫌だ。
エモい瞬間は私にもある。匂いとか見た目とか一瞬のものが何か過去を思い起こさせて、全く一緒なわけでないから懐かしいという言葉ではなくでも過去にあったもの。全く同じ人生を送る人なんて、双子であってもありえない。だからこのエモさは私だけのものであるし、これくらいは共有しないでいたい。
すぐに簡単に共感を求めることができる言葉それがエモい。そんなに共感はしなくていいし、なくてもいいのに。大丈夫だよ。